フィッシャーの交換方程式の貨幣回転率(貨幣流通速度)は、一定と仮定されることが多いですが、実際には変動しており、無視することはできません。特に貨幣回転率の低下はデフレ圧力となるため、デフレ問題を考える場合には重要です。
今回は、日本における貨幣回転率とその変化率について、算出します。
1. 貨幣回転率とその変化率
貨幣回転率は、フィッシャーの交換方程式より、次式で表されます*1。
また、貨幣回転率の変化量は、次式となります。
実際には微分ではなく、ある時刻の貨幣回転率と時刻の貨幣回転率の差分量から変化率を計算します。
ここで、は、例えば1年として、年単位の変化率を計算します。
2. 使用した統計データ
現状では、貨幣回転率の統計を直接得ることはできません*2。このため、名目GDP と貨幣量(主にマネーストック)を用いて計算します。名目GDPは内閣府が公表し*3、マネーストック統計は日銀が公表しています*4ので、本記事ではこれらの統計データを用いて貨幣回転率を計算します。
なお、マネーストック統計は、M2とM3を用いました。それぞれの違いは、以下の通りです。
M2=現金通貨+預金通貨+準通貨+CD(預金通貨、準通貨、CDの発行者は、国内銀行等)
M3=現金通貨+預金通貨+準通貨+CD(預金通貨、準通貨、CDの発行者は、全預金取扱機関)
M3は、M1に準通貨やCDを加えた指標です。準通貨の大半は、定期預金ですが、定期預金は解約して現金通貨や預金通貨に替えれば決済手段になる金融商品で、預金通貨に準じた性格を持つという意味で準通貨と呼ばれています。
M2は、金融商品の範囲はM3と同様ですが、預金の預け入れ先が限定されています。
日本銀行, 「マネーストック統計のFAQ」より引用。
今回は、以下に示す1995年からのデータを用いています。
対象期間
M2統計は1967年1月、M3統計は1996年1月、GDPデータは1995年度のデータまで遡及できます。このため、1995年度から2018年度を対象に分析しました。なお、M2、M3は年度末の3月の平均残高データを用いています。
マネーストック統計M2, M3
現在のマネーストック統計のM2、M3は、2003年3月からデータを収集しています*5。それ以前のデータとしては、若干定義が異なりますが、1967年1月から収集しているマネーサプライ統計の「M2+CD」が現在のM2に、1996年月から収集しているマネーサプライ統計の「M3+CD」から「金銭信託」を除いたものが現在のM3に対応します。
また、マネーサプライ統計でも、1998年4月に定義変更があり、調査対象金融機関が変更されています。
データ収集の定義変更により、段差が生じますが、その段差は比較的小さく、データ重複がある部分を見ても最大でも1%程度の違いです(付録A参照)。
GDP統計
今回の解析では、「名目年度」のGDPデータを用いました。2008SNA基準のデータで、1994年度から2018年度まであります。GDPデフレータもあります。
3. 貨幣量回転率の計算結果
内閣府公表の名目GDPと日銀公表のマネーストック統計M2, M3を用いて貨幣回転率を計算した結果のグラフは、次に示す通りです。
貨幣回転率は、M3の一部の期間を除いて、一貫して減少しており、お金が使われず、貯蓄に回ったことが伺えます。
日本の貨幣回転率(M2) (データラベル付き)
日本の貨幣回転率(M3) (データラベル付き)
日本の貨幣回転率(M2,M3) (データラベル付き)
M2とM3のグラフを重畳させたもので、内容は同じです。
なお、参考までに米国における貨幣回転率を付録Bに示します。
4. 貨幣回転率の変化率の計算結果
貨幣量回転率の変化率の計算結果は、下図の通りです。M2から計算した貨幣回転率の変化率の方が、M3から計算した変化率よりも、小さい傾向にあります。
M2とM3の違いは、対象機関の期間の違いですが、M2には、M3で調査対象となっている「ゆうちょ銀行」と「その他金融機関(全国信用協同組合連合会、信用組合、労働金庫連合会、労働金庫、信用農業協同組合連合会、農業協同組合、信用漁業協同組合連合会、漁業協同組合)」が除かれています*6。この差は、2019年3月末現在で約330兆円です。
これらの金融機関を加えると、貨幣回転率の減少率が小さくなるということは、これらの金融機関の貨幣回転率の減少率が小さいということです。理由は分析できていませんが、銀行に比べると、事業性資金が多く、貯蓄に回りにくいということかもしれません。
2005年、2006年ではM3の貨幣回転率が上昇しています。これは、都銀・地銀では貸出金の縮小の底が2005年頃でそれ以降は貸出金が増加しているにも拘わらず、「その他の金融機関」では貸出金縮小の底が2008年まで続いた影響と考えられます*7。
貨幣量回転率の変化率
貨幣回転率の変化率の平均は、対象期間23年の平均でM2ベースの変化率が-2.4%、M3ベースの変化率が-1.6%でした。直近からの平均期間を変更したときの変化率は以下の通りです。
年数 | 1年 | 5年 | 10年 | 15年 | 20年 | 23年 |
期間 | 2018 | 2014-2018 | 2009-2018 | 2004-2018 | 1999-2018 | 2006-2018 |
平均変化率(M2) | -1.81 | -1.54 | -2.24 | -2.18 | -2.27 | -2.35 |
平均変化率(M3) | -1.52 | -1.07 | -1.72 | -1.42 | -1.41 | -1.62 |
-1~-2%強の間で貨幣回転率が低下しています。長期のデフレは貨幣回転率の低下によって説明できます。つまり、投入された貨幣が貯蓄に回ってしまって、使われないということです。貯蓄が進む状況が長期のデフレ傾向をもたらしているとも言えます。
5. 貨幣回転率の変化率とインフレ率・GDP成長率
5.1 名目GDP成長率との関係式
名目GDP成長率と貨幣量の変化率やインフレ率・実質GDP成長率との間には、フィッシャーの交換方程式から導かれる次の関係があります*8。
5.2 計算結果
それぞれの値を以下の二つにグラフにまとめました。それぞれデータ自体は同じですが、「m+v=g(=p+y)」のグラフでは、貨幣増加率 、貨幣回転率の変化量 、名目GDP成長率 をハイライトしています。また、「p+y=g(=m+v)」では、インフレ率 、実質GDP成長率 、名目GDP成長率 をハイライトしています。
景気の谷(実質GDP成長率 の谷)は、以下の経済状況を反映しています。
- 1998年:金融危機・消費税導入
- 2001年:ITバブルの崩壊・911同時多発テロ
- 2008年:リーマンショック
- 2011年:東日本大震災
- 2014年:アベノミクス不況(インフレ誘導・円安誘導・消費税導入)
2014年のアベノミクス不況は、国内政策を主な原因とする景気の谷ですが、ここ20年の不況の中では国内政策が引き起こした不況という意味で特異な不況と言えます。
m(貨幣増加率)+v(貨幣回転率変化率)=g(名目GDP成長率)
名目GDP成長率と貨幣増加率・貨幣回転率の変化率(M2) (M3の結果はこちら)
名目GDP成長率 は、貨幣回転率の変化率 と強い相関があることが分かります。貨幣回転率の低下は、すなわち、お金を使わないということを意味しますので、経済成長率と相関を持つことは理解できると思います。
また、貨幣増加率(M2増加率)が2006年までは減少トレンドですが、国債発行額の減少と共に、バブル崩壊後の不良債権処理(銀行の貸し渋り、企業の債務縮小等も含む)も関係していると考えられます。
p(インフレ率)+y(実質GDP成長率)=g(名目GDP成長率)
名目GDP成長率とインフレ率・実質GDP成長率(M2) (M3の結果はこちら)
このグラフを見ると、名目GDP成長率 は、基本的に実質GDP成長率と相関が強く、インフレ率 との相関はあまりないことが分かります。
但し、2014年の実質GDPの落ち込みとインフレ率の上昇は関連しており、アベノミクスによる円安誘導・インフレ誘導・消費税増税によって、物価が上昇し、消費は冷え込んで、景気が落ち込んだ(実質GDPが低下した)と考えられます。
v (貨幣回転率変化率) - y (実質GDP成長率)
であり、 は比較的なだらかに変化するので、必然的にインフレ率 と の相関は高くなります。また、貨幣量は一貫して増えているので、貨幣増加率 は基本的に正であり、インフレ圧力になります。一方、 は負となっているので、デフレ圧力となります。
一方、2008年のリーマンショックの景気の落ち込みでは、実質GDP成長率 とともに貨幣回転率の変化率 も下がったため、 に目立つ変化はありませんでした。
v-y
2014年のアベノミクス不況では、実質GDP成長率が落ち込み、 が大きくなったことで、インフレになっています。
年数 | 1年 | 5年 | 10年 | 15年 | 20年 | 23年 |
期間 | 2018 | 2014-2018 | 2009-2018 | 2004-2018 | 1999-2018 | 2006-2018 |
の平均値 (M2) | -2.50 | -2.42 | -3.18 | -3.00 | -3.16 | -3.21 |
の平均値 (M3) | -2.21 | -1.95 | -2.66 | -2.23 | -2.30 | -2.48 |
6. まとめ
日銀のマネーストック統計と内閣府のGDP統計を用いて、貨幣回転率を計算しました。
貨幣回転率は、ここ20年以上、一貫して低下しており、お金を使わない(つまり、貯蓄をする)ということが定着してしまっているようです。
平均で1%程度の実質GDP成長率と-2%の貨幣回転率の低下は、それだけで-3%のデフレ圧力となります(p=m+v-yで(v-y)が-3%ということ)。
これまで、異次元緩和政策によって、貨幣量を増加させることで、デフレ脱却を試みていますが、あまり成果はありません。
多額の財政赤字による貨幣供給を行えば、インフレ率は高くなりますが、同時に財政悪化をもたらすため、行うべきではありません。
本質的には、貨幣回転率を上げる、せめて、下がらないようにすることが必要です。つまり、国民の財布の紐が緩むような政策が求められます。
(2019/7/13)
関連記事
付録A. マネーストック統計の段差
日銀のデータベースから、マネーストック統計のデータをダウンロードすることができます。今回の記事では、次のデータ系列を用いています。
M2
利用期間 | 系列名称(データコード) |
① 1967/1-1999/3 | (更新停止)旧M2+CD/平/マネーサプライ(1999年3月まで)(MD02'MAMS1ANM2C) |
② 1998/4-2003/3 | (更新停止)M2+CD/平/マネーサプライ(2008年4月まで)(MD02'MAMS3ANM2C) |
③ 2003/4-2019/6 | M2/平/マネーストック (MD02'MAM1NAM2M2MO) |
また、各データの重複収集期間におけるデータのずれは以下の通りです。
重複期間 | 比 | 比の最大 | 比の最小 | 比の平均 | |
①と② | 1998/4-1999/3 | ②/① | 100.48 | 100.41 | 100.45 |
②と③ | 2003/4-2008/4 | ③/② | 99.57 | 99.41 | 99.49 |
1999年4月のマネーサプライの定義変更で約0.4%大きくなり、2003年4月のマネーサプライからマネーストックへの変更で約0.5%小さくなり、データに段差が発生しています。
M3
利用期間 | 系列名称(データコード) |
① 1996/1-1999/3 | (更新停止)_旧M3+CD(新)−金銭信託/平/マネーサプライ(1999年3月まで) (MD02'MAMS1ANM3) |
② 1998/4-2003/3 | (更新停止)_M3+CD−金銭信託/平/マネーサプライ(2008年4月まで) (MD02'MAMS3ANM3) |
③ 2003/4-2019/6 | M3/平/マネーストック (MD02'MAM1NAM3M3MO) |
また、各データの重複収集期間におけるデータのずれは以下の通りです。
重複期間 | 比 | 比の最大 | 比の最小 | 比の平均 | |
①と② | 1998/4-1999/3 | ②/① | 100.65 | 100.61 | 100.63 |
②と③ | 2003/4-2008/4 | ③/② | 99.62 | 98.84 | 99.36 |
1998年4月のマネーサプライの定義変更では0.6%大きくなり、2003年4月のマネーサプライからマネーストックへの変更で最大で1.1%程度小さくなっています。
段差の補正
貨幣回転率の変化率を計算する際には、次のように段差を補正した上で、計算しました。
付録B. 米国の貨幣回転率
セントルイス連邦準備銀行のモームページで示されている "Velocity of M2 Money Stock (M2V)"のグラフは次の通りです*9。
このグラフでは1990年頃までは、回転率は1.7~1.9の間で遷移していますが、1990年代に上昇を続け、1997年の第3四半期に2.2のピークとなり、その後、下降トレンドに入って現在に至っています。
米国の貨幣回転率
*1:ケンブリッジの方程式でマーシャルのをとして扱うといった方が、より正確かもしれません
*2:将来、通貨がデジタル通貨となり、通貨の使用額・使用時刻等が計数できるようになれば、貨幣回転率の統計を直接的に求めることができるようになるかもしれません。
*3:内閣府, 「国民経済計算(GDP統計) 統計表一覧(2019年1-3月期2次速報値)」, 2019.6.10.
*5:日本銀行, 「マネーストック統計のFAQ」, 2018.12.
*7:日本銀行, 「預金・貸出関連統計(預金・現金・貸出金)」
*8:インフレ率・経済成長率と貨幣量の変化率との関係式(フィッシャーの交換方程式からの導出) - ゲゼルマネー経済学入門
*9:Federal Reserve Bank of St. Louis, "Vecolity of Me Money Stock (M2V)"