ゲゼルマネー経済学入門~ゲゼルマネーを導入して、好景気にしよう

ゲゼルマネー経済学入門

ゲゼルマネーを導入して、好景気にしよう

財政ファイナンス時のインフレシミュレーション

 現在、日本では、異次元緩和という名のもとに日銀による国債引き受け、つまり、実質的な財政ファイナンスが行われています。財政ファイナンスを行うと、ハイパーインフレになると言われますが、そのメカニズムはどのようなものでしょうか?

 今回の記事では、貨幣数量説に基づいて、簡単なインフレ率の数値計算シミュレーションを行います。

1. 貨幣数量説に基づくインフレ率

 貨幣数量説におけるフィッシャーの交換方程式から、インフレ率に関する次の関係式を得ることができます*1

\displaystyle
\begin{eqnarray}
p & = & m + v - y \\
\end{eqnarray}

ここで、

\displaystyle
\begin{eqnarray}
インフレ率 p  &  = \frac{1}{P}\frac{dP}{dt} &   (P:\mbox{GDPデフレータ})\\
貨幣増加率 m & = \frac{1}{M}\frac{dM}{dt} &   (M:貨幣量) \\ 
貨幣回転率の変化率 v  &  = \frac{1}{V}\frac{dV}{dt} &   (V: 貨幣回転率)\\ 
\mbox{実質GDP成長率} y & = \frac{1}{Y}\frac{dY}{dt} &  (Y:\mbox{実質GDP} )\\
\end{eqnarray}

 この式を用いて、インフレ率を推定します。

2. 貨幣供給とインフレ率

 インフレ率のシミュレーションでは、実質GDP成長率 y、貨幣回転率の変化率 v は外部パラメータとして与えます。従って、右辺の変数としては、貨幣増加率 m のみです。この節では、貨幣増加率について述べます。

2.1 貨幣増加率

 市中の貨幣量 M、つまり、マネーストックには次の3つ種類があります*2

  • 貨幣量 M_C :市中銀行による信用創造
     市中銀行の融資・国債購入によって、預金通貨を発行した場合に増加する*3

  • 貨幣量 M_F : 国債の日銀引受を伴う政府支出(財政赤字)
     国債を日銀が引き受け、政府支出を行うと、市中の貨幣量が増加する。このとき、日銀当座預金残高も増加する。

  • 貨幣量 M_I :日銀当座預金残高への付利
     日銀当座預金に対して、利息を支払う場合。一旦、銀行の資産になるが、銀行預金への利払いなど銀行支出を通じて、市中の貨幣量が増加する。このとき、日銀の純資産は減少する*4
\displaystyle
\begin{eqnarray}
M & = & M_C+M_F+M_I \\
\end{eqnarray}

 すると、貨幣増加率mは次式となります。

\displaystyle
\begin{eqnarray}
m & = & \frac{1}{M}\frac{dM}{dt} \\
& = & \frac{1}{M}\left(\frac{dM_C}{dt}+\frac{dM_F}{dt}+\frac{dM_I}{dt}\right)\\
& = & \frac{1}{M}\left(\Delta M_C + \Delta M_F + \Delta M_I\right)\\
ここで、&&\\
\Delta M_C & = & \frac{dM_C}{dt} \\
\Delta M_F & = & \frac{dM_F}{dt} \\
\Delta M_I & = & \frac{dM_I}{dt} \\
\end{eqnarray}

2.2 日銀付利による貨幣増加量

 インフレ時には、通常は、政策金利を上げて、景気の過熱を抑えます。この際に当座預金への付利が必要になります。これは、FRBの量的緩和の出口においても行われている方法で、一般的な考え方です。

 日銀付利による貨幣増加量 \Delta M_I は、名目利子率 n(t) と日銀当座預金残高 B(t) を用いて、次式で表すことができます。

\displaystyle
\begin{eqnarray}
\Delta M_I & = & n(t)B(t)\\
\end{eqnarray}

 ここで、日銀当座預金残高 B(t) は、次式となります。

\displaystyle
\begin{eqnarray}
B(t) & = & M_F(t)+M_I(t) \\
\end{eqnarray}

 従って、

\displaystyle
\begin{eqnarray}
\Delta B & = & \Delta M_F+\Delta M_I \\
& = & \Delta M_F + n(t)B(t) \\
\end{eqnarray}

2.3. インフレ率

 従って、インフレ率 p は、次のように表すことができます。


\begin{eqnarray}
 p & = &  m + v - y \\
& = & \frac{1}{M}\left(\Delta M_C+\Delta M_F+\Delta M_I\right) + v -y \\
& = & \frac{1}{M}\left(\Delta M_C+\Delta M_F+nB\right) +v -y \\
\end{eqnarray} 

3. インフレ率のシミュレーション

3.1 更新則

 次を仮定して、インフレ率 p の変化をシミュレーションしました。

① 実質GDP成長率 y、貨幣回転率の変化率 v、実質利子率 r は一定。
② 信用創造・財政赤字による貨幣増加量 \Delta M_C, \Delta M_F は、インフレ率 p に従って増加。

\displaystyle
\begin{eqnarray}
\Delta M_C(t+1) & = & (1+p(t))\Delta M_C(t) \\
\Delta M_F(t+1) & = & (1+p(t))\Delta M_F(t) \\
\end{eqnarray}

 ここで、財政赤字 M_Fは、国債の利払いによる増加を想定していません。つまり、日銀が引き受ける国債は無利子国債です(統合政府として見た場合、有利子でも、無利子でも統合政府の債務残高は同じです)。

③ 名目利子率 n(t) は、インフレ率 p(t) と実質利子率 r によって更新。


n(t+1) = \max(p(t) + r, 0)

マイナス金利にはならないようにしています。

④ 日銀当座預金残高 B(t) は、次式で更新。


\begin{eqnarray}
B(t+1) & = & B(t)+\Delta B \\
& = & B(t) + \Delta M_F(t) + n(t)B(t)\\
\end{eqnarray}

⑤ 貨幣増加量 M は、次式で更新。

\displaystyle
\begin{eqnarray}
M(t+1) & = & M(t)+ \Delta M_C(t)+\Delta M_F(t)+n(t)B(t) 
\end{eqnarray}

⑥ インフレ率 p(t) は次式で更新。

\displaystyle
\begin{eqnarray}
p(t+1) & = & \frac{1}{M(t)}(\Delta M_C(t)+\Delta M_F(t) + n(t)B(t) ) + v - y\\
\end{eqnarray}

3.2 パラメータ

 シミュレーションに当って、特に指定しない場合には、初期値(t=0における値)は次の値を用いました。

  • 貨幣量 M(0):1,344兆円(2019年3月のマネーストックM3*5
  • 日銀当座預金残高 B(0):394兆円(2019年3月末現在の残高*6
  • 市中銀行による貨幣量 M_C(0):0円
  • 市中銀行による貨幣増加量 \Delta M_C(0):13.6兆円
    (直近5年間の国内銀行の貸出残高増の年平均。2014年3月(440兆円)と2019年3月(508兆円)から計算*7
  • 財政赤字による貨幣量 M_F(0):880兆円 (2018年度の普通国債残高)
  • 財政赤字による貨幣増加量 \Delta M_F(0):27.0兆円
    (2017年度(853.2兆円)から2018年度(880.2兆円)の普通国債残高の差額*8

 国の債務は、1000兆円を超えると言われますが、ここでは、普通国債の880兆円のみとしてM_F(0) =0としました。市中銀行による貨幣量も M_C(0)=0としましたが、今回の計算モデルでは、これらの値はインフレ率の計算結果に影響を与えません。

4. シミュレーション結果

4.1 貨幣回転率変化率パラメータを変更した場合

 貨幣回転率の変化率 v を変更して、その影響を調べました。条件は、以下の通りです。

  • 実質GDP成長率 y=0%
  • 実質利子率 r = 0%
  • 貨幣量 M(0) = 1344兆円
  • 日銀当座預金残高 B(0) = 394兆円
  • 市中銀行による貨幣増加量 \Delta M_C(0) = 13.6兆円
  • 財政赤字による貨幣増加量  \Delta M_F(0) = 27.0兆円
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 マネーストックM3貨幣回転率の変化率 v は、この20年の間は、経済情勢に応じて、-5%~+1%の間で推移してきました(貨幣量回転率の変化率の推移*9。金融危機、ITバブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災に際しては-3%を下回ることがありました。

 p=m+v-y の理論式からすれば、v が小さくなることで、デフレになります。ここのシミュレーションでも、v = -3%でデフレを再現しています。

 一方、v が大きくなると、インフレ率は急速に大きくなります。

 この計算では、v=0%の場合でも2年目で4%のインフレとなります。v がそれよりも大きいと、さらに高いインフレとなり、何年か経つとハイパーインフレのレベル*10の高率のインフレとなります。

 このシミュ―レーションでは、v は一定の値として計算していますが、途中で v が急上昇、つまり、貯蓄を使うようになると、もっと短時間でハイパーインフレになることが考えられます。

 貯蓄の減少は、賃金の伸びが物価上昇に追いつかなければ発生します。このような事態になると、v が上昇する可能性があります。

 但し、この計算の理論式は、p=m+v-y ですので、実質GDP成長率が増加すれば、v の増加をキャンセルします。このため、インフレにもデフレにも振れる可能性がありますが、実質GDPの落ち込みをカバーできるように財政支出すれば、インフレ亢進となります。

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 貨幣量 Mは、当初は市中銀行による貸し出しの13.6兆円と財政赤字の27兆円の計40兆円です。これは、マネーストック1,344兆円に対して約3%の値となります。

 p=m+v-y によってインフレ率は決まりますが、今回の計算では、v-y は定数として与えているので、インフレ率は基本的に貨幣量の増加率 m を反映したものとなります。この貨幣増加率 m に対して、定数値である v-yを足せば、インフレ率のグラフが得られます。先の図では、y=0%で計算していますので、実際には、p=m+v で、貨幣増加率 mvを足し合わせれば、インフレ率のグラフとなります。

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 貨幣量 M の内訳を見ると、当初は小さかった日銀当座預金への付利による貨幣量 M_I が、インフレが進むに従って巨額になっていきます。これは、利払いによって借金が雪だるま式に膨らむ構図と同じです。日銀当座預金へ利息を支払うことで、当座預金残高が増え、さらにその増えた当座預金残高に利払いが加わることで、指数関数的に付利による貨幣量 M_I は増えていきます。

 これに対して、財政赤字や市中銀行による貨幣量の増加量  \Delta M_F \Delta M_I は、インフレ率に応じて増えます*11が、指数関数的には増加しませんので、付利による貨幣量の方が時間が経つに従って支配的になります。

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 インフレが進むに従って、日銀当座預金残高 B が急増します。主な要因は、付利による貨幣供給 M_I です。

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 ここでの政府債務とは、国債発行残高 M_F のことです。政府発行の国債は、日銀引受を前提に、無利子国債としています。

 無利子国債のため、政府債務の伸びは、利払いによる貨幣量 M_I に比べれば、大きくなりません。無利子国債の日銀直接引受で、実際の有利子負債は日銀当座預金に変換され、雪だるま式に増えるのは、日銀当座預金の方になります。

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 ここで示す統合政府債務は、政府債務 M_F と付利による貨幣量 M_C の和です。実際には、日銀当座預金や自己資本、保有国債などを勘案して計算する必要がありますが、その分は無視していますが、増加を見る分には影響を与えませんので、これで代替してもよいかと思います。

 日銀の自己資本は極僅かですので、付利によって、日銀は債務超過に陥ります。これを財政によって補完することなく、債務超過を続けるというモデルで計算しています。債務超過分を国債発行・日銀引受とすれば、そのまま、政府債務となりますが、統合政府債務としては変わりません。

 統合政府債務は、20年後には、例えば、v=+3%の場合で1.5京円、v=+5%の場合で6.4京円にも債務が膨れ上がります。一方、v=-3%の場合には、ほとんどが毎年の財政赤字による国債の増加のみなので、1,400兆円の債務に留まります。

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 対GDP比の政府債務については、例えば、v=+5%であれば、237%から16%と大幅に減少します。これは、インフレ率に応じて名目GDPが成長するのに対して、政府債務に関しては無利子国債発行モデルのため、インフレ率を反映しても指数関数的に増大することはないからです。

 一方、付利による債務を含めた対GDP比の統合政府債務については、v=+5%のハイパーインフレの場合であっても、152%にしか減少しません。

 デフレの v=-3%の場合では、政府債務・統合政府債務ともに、237%から432%に増加します。預金に対して、マイナス金利を適用していないために、毎年の財政赤字の積み上げと、名目GDPの縮小によって、対GDP比債務が上昇します。

4.2 付利しない場合

 前節と同じパラメータで、付利を行わない場合をシミュレーションしました。付利した場合のようにインフレ率が急速に亢進することはありません。

 しかし、付利しないでインフレが発生しないのは、0%金利の金融抑圧*13が成功した場合です。通常は、金利を引き上げなければ、ここで示したメカニズムとは異なるメカニズムでインフレが亢進します。

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 貨幣の増加は、市中銀行の信用創造による貨幣量 M_C と、財政赤字による貨幣量 M_F のみで、それぞれインフレ率に応じて増加するようにしていますが、指数関数的に増加するわけではありませんので、付利を行った場合に比較して、緩やかなインフレ率の増加になっています。特に v を-2%~-3%すると、現在のインフレ率と同程度のインフレ率となります。

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 v=+3%のときの貨幣量の内訳を見ると分かるように、増加しているのは、市中銀行の貨幣量 M_C と財政赤字の貨幣量 M_F で指数関数的に増加することはありません。

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 政府債務と日銀債務を合わせた統合政府債務は、v に応じて、大きくなったり、小さくなったりします。特に対GDP比の統合政府債務については、付利しない場合と同じ程度の値になっています。

 ここで示したシミュレーションではインフレが急激に進むことはありませんでした。しかし、インフレ時に低金利にした場合、ここでのシミュレーションとは違ったメカニズムでインフレは亢進します。このため、インフレ時には、通常は、政策金利を上げて、景気の過熱を抑えます。そして、政策金利の引き上げの遅れが、その後の経済破綻に繋がった例は数知れません。例えば、日本のバブル景気や米国のサブプライムローンバブルが代表例でしょう。

 財政ファイナンスによって巨額の当座預金が溜まってしまうと、付利以外の方法で金利を上げていくことは困難になります*14。しかし、付利した場合でも、前節のようにインフレを亢進してしまうために、インフレ制御が困難となります。巨額になった日銀当座預金が、金利調整という金融政策手段を奪ってしまうのです。

4.3 財政赤字パラメータを変更した場合

 一部の財政拡大派の方々は、現状よりもさらに30兆円程度は財政赤字・赤字国債を増やしても、インフレにならないと主張しています。ここでは、財政赤字 \Delta M_F をパラメータとして、シミュレーションを行いました。

 日本の貨幣回転率の変化率 v と実質経済成長率 yの差 v-y の値は、およそ-2.0%~-2.5%の値で推移しています*15。それぞれの値には年によって大きくブレますが、平均すれば、v = -1.5%前後、y=1%前後です。ここでのシミュレーションは、y=1%、v = -1.5%として、それ以外の条件については、前節のシミュレーションと同一条件としました。

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(政府債務については、こちら


 現状の単年度の財政赤字 \Delta M_F=27兆円ですが、この場合のインフレ率は0.5%程度と低いインフレ率です。一方、33兆円財政赤字を増加させた \Delta M_F=60兆円の場合には、3年目以降は4%程度の高めのインフレ率で推移していきます。また、\Delta M_F=40兆円で2%程度のインフレ率となります。

 財政赤字による国債発行で貨幣量を増やすことで、インフレになることが分かりますが、このシミュレーションからすれば、60兆円の財政赤字は行き過ぎた財政支出と言えます。

4.4 財政赤字を年60兆円にした場合

 4.3節のシミュレーションで、財政赤字 \Delta M_F=60兆円で固定し、貨幣回転率の変化率 v を変更しました。

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(政府債務については、こちら

 v=-1.5%の場合が、4.3節のシミュレーションと同じ結果ですが、貨幣回転率を上げていくと、高インフレになっていき、ハイパーインフレにもなります。v=+2%程度でもハイパーインフレになっています。

 米国で、貨幣回転率が上昇している1990年から1995年には、M2ベースの貨幣回転率の変化率が 5年で約15%、1年で約3%となっています。つまり、v=+2%や+3%は、通常の経済状態でも発生します。つまり、財政ファイナンスを行った場合、回転率が上昇する局面でハイパーインフレとなる可能性があるということです。

5. シミュレーション結果について

 

p=m+v-y は、現状のインフレ率を正しく説明する。

 このシミュレーションは、現状のインフレ率については正しく説明します。なぜなら、貨幣回転率の変化率 v は、v=p+y-m から計算されるからです。pym は現状の経済統計から求められるもので、m+v=p+yの方程式が成り立つように、v を決めていると言ってもよいでしょう。従って、現状と、初期段階(1年目など)のインフレ率等に大きな数字のズレがあれば、それは、設定したパラメータが現状を表すパラメータではないということです。

 つまり、このシミュレーションで、現時点のインフレ率は正しく説明できて当たり前で、正しく説明できなければ、どこかに問題があるということです。

デフレは極端に悪化しない。

 貨幣回転率の変化率 v 等のパラメータを大きく動かしても、極端なデフレになることはありませんでした。

 貨幣量 M は、増加する前提の計算ですので、デフレになるためには、貨幣回転率 Vが低下していくこと、あるいは、実質GDP Yが増加していくことが条件です。経済成長についてはシミュレーションでは、一定としていますが、極端に実質GDP成長率 y が大きくなることはありませんので、貨幣回転率 V が主なデフレ要因になります。しかし、v を-3%と大き目にしても、-1%のデフレにしかなりませんでした。

高インフレはすぐに発生し、ハイパーインフレも生じ得る。

 パラメータの変更次第で、直ぐに高インフレになり、ハイパーインフレになる場合もしばしば生じます。財政赤字 \Delta M_F などのパラメータは政策的にコントロール可能ですし、通常であれば実質経済成長率 y は極端に変動することはないと思います。現在の日本では、 v は-2%程度で安定していますが、これは人々の消費行動の変化によって大きく変わり得るもので、政策的なコントロールは困難と考えられます。この値が大きくなる、つまり、消費行動に走るようなことが起こったときに、制御できない高インフレとなる可能性があります。

付利すれば、日銀はすぐに債務超過となる。

 現在の日銀の自己資本は、8兆円程度です。1%付利でも年4兆円の損失が発生しますので、2年もあれば、日銀は債務超過に転落します。

 当座預金付利のモデルは、10兆円や100兆円どころか、場合によっては数京円にも上る債務超過に日銀が陥ります。中央銀行の債務超過は、政府の中央銀行への出資によって回避することはできますが、その出資金も中央銀行の国債引き受けによって調達されるのであれば、単なる見かけ上の債務超過の回避で、中央銀行負債が政府に移転されただけです。中央銀行の債務超過が問題視されない場合とは、統合政府として見た場合の政府債務が問題視されないという前提がある場合でしょう。

 しかし、実際には、中央銀行が、巨額の債務超過に陥った場合、その国の通貨の信任が得られるとは考え難いです。つまり、極端な通貨安に見舞われて、大変な経済的混乱が生じると考えられます。つまり、当座預金に付利を行えば、中央銀行の債務超過によって、早い段階で経済破綻に陥ります。

 付利しなければ、景気過熱により、民間貸付による貨幣供給 \Delta M_C が増えていき、インフレの悪化させることでしょう。今回のシミュレーションでは、\Delta M_C はインフレ率に連動させて増やしているだけなので、景気過熱による  \Delta M_C の増加は考慮されていません。このため、付利しない場合のシミュレーション結果ではインフレ率が急上昇することはありませんが、景気過熱による貨幣供給の変化を考慮すると、インフレ率は急速に高くなると考えられます。

高インフレでも対GDP比の政府債務はあまり減らない。

 高インフレになっても、対GDP比の統合政府債務はあまり減少しませんでした。これは、債務に対して、名目利子率 n = インフレ率 p の条件で計算しているため、日銀当座預金の負債が雪だるま式に増えてしまうためです。インフレ率p > 名目利子率 n であれば、対GDP比債務はより減少していくことになるはずですが、実質利子率 r を1%~2%程度動かした程度では、結果に大きな変化はありませんでした。

 また、付利された貨幣が預金にそのまま銀行預金に反映されるのであれば、今回のシミュレーションでは、名目利子率 n = インフレ率 p のため、預金は実質的には目減りしません。この点は、実際にインフレが起こったといに発生する現象を再現していません。

6. v が大きくなるのは、どのような場合か?

 今回のシミュレーションでは、v は一定として計算しています。しかし、v はインフレ率が変化すれば、大きく変化する可能性がある変数です。

 次のような経過を経る場合には、 v が大きくなると考えられます。

  1. インフレが発生する。
  2. 賃金の上昇がインフレに追従していない。
  3. 貯金を取り崩して、消費する。

 インフレによって、節約し、消費量は減ったとしても、消費額としてはこれまで同じであるならば、v= p+y-mp+y は、p の上昇と、yの下落がキャンセルし、v は変化しません。

 節約を励み、貯蓄量が増大すれば、v は減少しますが、生活が苦しくて貯金を取り崩して消費に回せば、v は上昇するはずです。

 p=m+v-y の視点で見れば、消費量 y が減少し、貯蓄の取り崩しでv が増大となるので、インフレ率 p を増大させるということになります。

 2014年のアベノミクス不況では、物価が上昇しましたが、賃金はほとんど上昇せず、消費を減らしたことで、消費量が減少しました。このとき、v は(前年に比べれば若干小さくはなっているもの)前々年に比べると2%近く大きくなっています。家計調査報告によれば、この年、世帯平均の貯蓄率はマイナスになっているので、低所得者を中心に貯蓄の取り崩しが発生したと思われます。

 この因果の関係は、物価上昇 (p の増加) →実質賃金低下→消費量の低下(y の低下)・貯蓄の取り崩し(v の上昇)でしょう。

 貯蓄の取り崩しがさらに進んでいけば、v の増大によって、インフレが亢進します。但し、取り崩して消費に回されたお金が、別のところに溜まれば、v は小さくなりますが、物価の上昇に伴って、コストや賃金の上昇によって、企業にもお金が溜まらなければ、インフレ循環に入ると考えられます。つまり、物価上昇と賃金上昇は連動するものの、その間の時間的なずれによって生活費不足で、貯蓄が減少していくと、インフレの連鎖が発生します*16また、このような状態の場合に、景気対策で財政出動すれば、さらに貨幣供給され、インフレが進みます。

 アベノミクス不況の場合は、賃金上昇がなく、企業にお金が溜まることで、インフレ循環に入ることなく、デフレから脱却できなかったと考えられます。

7. 最後に

 財政ファイナンスを行った場合のインフレ率のシミュレーションを行いました。

 財政ファイナンスを行った場合、貨幣回転率が増えていくということがなければ、比較的安定な推移を得ることもできます。しかし、貨幣回転率が上昇していけば、高インフレ、場合によっては、ハイパーインフレに陥ることが分かりました。

 貨幣回転率、すなわち、消費者や企業の貯蓄行動は、政策的に制御することは困難です。現在の貨幣回転率は安定的な推移を示していますが、経済的状況の変化によって、貨幣回転率が大きく変動すれば、インフレ制御に失敗する可能性が高いと考えれます。

 なお、MMTを推進するケルトン教授によれば、「利上げでインフレになる」とのことです*17。ケルトン教授の理解とは違うかもしれませんが、「(財政ファイナンスすれば)利上げでインフレになる」という結論は今回のシミュレーションでも得られました。

(2019/7/30)

(追記:2019/8/23) このシミュ―レーションでは、金利上昇による民間の信用創造の抑制効果をモデルに入れ込まず、市中銀行による貨幣増加量 \Delta M_C はインフレ率に比例して増加するとしています。金利上昇による抑制効果を考慮すると、若干インフレ率は小さくなると思いますが、極端な減少でもしない限りは、大勢に影響はないと思います。

関連記事

シミュレーション用のプログラム (octave)

*1:インフレ率・経済成長率と貨幣量の変化率との関係式(フィッシャーの交換方程式からの導出) - ゲゼルマネー経済学入門

*2:預金通貨の発行-信用創造・政府支出・銀行支出・現金入金 - ゲゼルマネー経済学入門
現金(紙幣・貨幣)については、預金通貨との交換ですので、貨幣供給としては取り扱いません。

*3:国債の場合、厳密には発行国債によって得られた資金を政府が支出した段階で貨幣量が増えます。

*4:現状の日銀のように利益を生まない資産が多いと、付利によって逆ザヤとなり債務超過に陥る可能性があります。減少した純資産を日銀引受による国債発行に得られた資金で、日銀に資本注入を行っても、この場合の国債発行では、市中の貨幣量には影響を与えません。

*5:日本銀行, 「マネーストック速報(2019年4月)」, 2019.5.15.

*6:日本銀行, 「第134回事業年度(平成30年度)決算等について」, 2019.5.29.

*7:日本銀行, 「預金・貸出関連統計(預金・現金・貸出金)」

*8:財務省, 「戦後の国債管理政策の推移」.

*9:日本における貨幣回転率とその変化率 - ゲゼルマネー経済学入門

*10:国際会計基準のハイパーインフレは、3年で2倍の物価高。これを年率にすると、約26%となります。

*11:もともとインフレ率に応じて増えるように計算していますが、このパラメータ設定の場合には、名目GDP成長率との比は同じで、財政規模が名目GDP比で同じであれば、財政赤字も同じ比率で増えることになります。

*12:日銀から銀行に利子が支払われると、まずは、銀行資産が増えます。それを銀行預金の利息等に支払うことで、市中の貨幣量が増加します。このとき、銀行のバランスシートは利息分だけ大きくなります。

*13:池田信夫, 「日本は「金融抑圧」で政府債務を踏み倒せるか」, アゴラ, 2019.3.13.
アダム・スミス2世の経済解説, 「金融抑圧による財政再建 イギリスと日本」, 2015.2.20

*14:たとえ、国債売りオペで国債金利を適正水準に上げられたとしても、銀行が保有できる高金利国債は、銀行資産の中ではわずかで、ほとんどが日銀当座預金のままです。つまり、金利が上がったとしても、銀行は預金金利を引上げるために必要な原資が得られないということです。つまり、銀行預金の金利はゼロのままです。このゼロ金利の預金が、例えば、インフレに耐性がある他の金融商品や不動産資産にシフトすれば、資産バブルが発生し、資産効果により景気が亢進・過熱します。

*15:日本における貨幣回転率とその変化率 - ゲゼルマネー経済学入門

*16:インフレ率・賃金上昇・貨幣回転率の関係を微分方程式を用いて表せるような気がしますが、良く分かりません。

*17:Bloomberg, 「ケルトン教授、金融政策は財政政策に従属的な存在へ-インタビュー」, 2019.7.19.
池田信夫, 「「利上げしたらインフレになる」ケルトンの珍理論」, 2019.7.21

老齢基礎年金を保険料徴収から消費税徴収に切り替えるとどうなるか?

 現在の老齢基礎年金のようなベーシックな年金を、消費税で賄ったらどうなるでしょうか?基礎的な年金を、消費税によって国民皆で負担するというわけです。

 消費税で負担するのであれば、年金保険料を支払う必要もないので、保険料の未納付で無年金になる恐れもなくなります*1

1. 老齢基礎年金の給付額

 年金は、年金特別会計で会計処理されています。この特別会計では、年金を以下の3つの勘定で管理しています。

  • 基礎年金勘定:老齢基礎年金を給付するための勘定
  • 国民年金勘定:国民年金のための勘定。福祉年金・特別障害給付金給付はこの勘定で行い、残りの大部分は基礎年金勘定に組み入れます。
  • 厚生年金勘定:厚生年金のための勘定。老齢厚生年金はこの勘定で給付し、老齢基礎年金部分については、基礎年金勘定に組み入れます。

 2019年度の年金特別会計の主な資金の流れをまとめると、次の図のようになります(各年金勘定収支の詳細は、付録A参照)。

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年金特別会計の資金の流れ。


 最終的に給付される老齢基礎年金は、24.7兆円です。そのうち、1.1兆円の積立金収入を除いた23.6兆円の半額の11.8兆円が国庫負担として一般会計から支払われています*2

2. 消費税方式で必要な税率

 老齢年金勘定収入のうち、積立金収入と国庫負担金を除いた11.8兆円を消費税負担とすると、約6%の消費税増税が必要です(消費税1%あたり2兆円の税収増を仮定)。

 なお、消費税を年金目的税として年金のみに使用する場合では、約12%の消費税が必要となります(2019年度予算では、10%の消費税で19.4兆円がある一方、年金への国庫支出は11.8兆円です。この差額の約7.6兆円は、消費税の年金目的税化によって歳入欠損となります)。

 一方、年額約20万円の老齢基礎年金に対応する保険料は不要となります*3

 消費額による損益分岐点は、20万円/消費税率6%=330万円です。つまり、約330万円以下の消費の場合には実質的に減税、それ以上の場合は増税となります。

 また、保険料納付義務がない20歳以下や60歳以降の方は、単純に消費税分だけ増税となります。

20歳~59歳それ以外
消費額330万円以下減税大増税
消費額330万円以上増税大増税

3. 最後に

 現在の老齢基礎年金を保険料方式から消費税方式に変更することで、保険料の未納による無年金となる問題を回避することができます。

 現在の老齢基礎年金給付を基準にすれば、約6%の消費増税で実現できます。

 この制度は、世代間負担ではなく、国民皆負担です。老後世代も負担することになり、現在の老後世代は、現役時代の保険料負担と現在の消費税負担の二重払いになります。このため、過去の負担、もしくは、現在の負担に相当する額を(給付付き税額控除などによって)還付する必要があるかもしれません。還付する場合には、税収不足になりますので、必要な消費税率は6%よりも大きくなります(付録B参照)。

 既に保険料を長期間払い込んでいる人が多いために、二重払いの問題の解消には非常に長い時間がかかります。

 この方式は、大幅な年金制度の変更なので、実現性は乏しいかもしれませんが、このような年金負担の在り方も、一つの考え方ではないかと思います。

(2019/7/26)

付録A. 年金勘定収支の詳細

 2019年度の予算ベースの年金特別会計の年金勘定収支の詳細は、以下の通りです*4

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付録B. 二重支払問題

 現在、20歳以上の方は、基本的にはこれまでに保険料を納付しています。このため、現在の年金支払を保険料方式から消費税方式に切り替えた場合には、現行制度のもとで、受給資格を得るために支払った保険料と、現在の年金保険税(消費税)の二つの支払いを重複して行うことになってしまいます。

支払免除、あるいは、支払額還付

 この二重支払の問題を解決するためには、消費税方式による年金保険税を免除するか、過去の支払い額を還付する必要があるでしょう。

  • 年金保険税を免除する
    既に年金受給資格があると考え、年金保険税の支払を免除する。実際には、二つの方法が考えられます。
    • ① 見做し金還付
       年金保険税に相当する消費税額のみなし額を還付します。現在で言えば、年20万円をみなし額として還付します。将来、年金保険税が高くなれば、みなし額も増額します。
    • ② 軽減税率適用
       年金保険税に相当する消費税率(例えば、6%)だけ、消費税の税率を軽減します。年金保険税が上昇すれば、軽減する税率も大きくします*5
  • 過去に支払った保険料を還付する
     保険料支払いの期間に相当する期間の保険料を還付します。この場合、将来、年金保険税が上昇しても、還付額を増加させません。 例えば、30年間保険料を支払っていたならば、65歳から95歳までは、保険料を還付します。制度変更により、5年しか保険料を支払っていない25歳の人の場合には、40年後の65歳から70歳の間だけ還付します。還付額の決め方には次の二つの考え方があるでしょう。
    • ③ 現在の保険料を基準に還付する。
    • ④ 過去の支払い額を現在価値に置き換えて、還付金額を決める。
       つまり、過去の支払いについてはインフレ率を考慮して現在価値に置き換えて、還付金額を計算します。過去の支払いについては、現在よりも保険料は低かったので、還付額は③の額よりも、少なくなります。

 個人的には、④が最も合理的で不公平感が少ない方法と思いますが、高齢者の負担は重くなります。

 還付金の支払いを高齢になってから打ち切ると、生活が困る場合もあるでしょうから、還付金を原資として終身化する必要があるかもしれません。

 また、制度変更による還付金の支払い打ち切りは、45年後に対象者全員に同時に発生します。終身化すれば、保険料を支払った最後の世代になるにつれて、保険料の支払期間が短く、その世代の総還付額は減っていきます。例えば、還付期間(還付時からの平均余命)を20年とすると、1年だけ保険料を支払った世代は、1/20だけの還付、2年なら2/20の還付と言った具合になります。

 ここでの想定は、65歳になってから、過去の保険料支払いを還付することを想定していますが、それ以前の年齢であっても、還付を行うことは可能です。二重支払問題を長引かせないためには、早い段階から還付を開始した方がよいかもしれません。

還付に対する増税率

 支払免除や支払額還付を行えば、必要な税収が減少します。このため、消費税率を上げる必要があります。

 ①と③の方法での還付金額は、現在時点では年20万円になります(将来的には変わります)。この場合、消費増税の税率は、以下に示すように、9%となります。


\begin{eqnarray}
 年金支給額と還付金の総額① & = & \frac{78+20}{78}\times \mbox{24.7兆円(78万円の年金の支給総額)}\\
 消費増税率 & = & \frac{\mbox{総額① - (国庫負担金) - (積立金運用益) }}{\mbox{1%当りのの消費税収}}\\
& = & \frac{\mbox{31.0兆円 - 11.8兆円 - 1.1兆円}}{\mbox{2兆円}} \\
& = & 9\% \\ 
\end{eqnarray}

 なお、この税率は、人口動態や消費額の変動等により変わります。

*1:この制度を導入すれば、直ちに無年金者がいなくなるというわけではありません。消費税支払いを年金保険料支払いとみなすことで、未納者がいなくなり、将来的には無年金者がいなくなるということです。

*2:厚生労働省, 「基礎年金国庫負担割合2分の1の実現について」

*3:国民年金の保険料は、月額16,410円(年額196,920円、前納割引制度を利用すれば、最大割引で年額189,820円)です。厚生年金は、老齢基礎年金と老齢厚生年金の保険料が一括で徴収され、明確な区別はされていませんが、国民年金と同程度の負担となるように保険料が決められていると思います。

*4:厚生労働省, 「年金特別会計」

*5:軽減税率を適用する方法は、マイナンバーカードで本人確認・軽減税率適用者をしたとしても、他人の購入を肩代わりするなどの脱税方法が残ります。この脱税方法を考えると、実施は難しいかもしれません。

日本における貨幣回転率とその変化率

 フィッシャーの交換方程式の貨幣回転率(貨幣流通速度)は、一定と仮定されることが多いですが、実際には変動しており、無視することはできません。特に貨幣回転率の低下はデフレ圧力となるため、デフレ問題を考える場合には重要です。

 今回は、日本における貨幣回転率とその変化率について、算出します。

1. 貨幣回転率とその変化率

 貨幣回転率Vは、フィッシャーの交換方程式より、次式で表されます*1

\displaystyle
\begin{eqnarray}
V & = & \frac{PY}{M} = \frac{G}{M}\\
ここで、& & \\
& V :& 貨幣回転率\\
& M :& 貨幣量\\
& P :& \mbox{GDPデフレータ(物価水準)}\\
& Y :& \mbox{実質GDP}\\
& G :& \mbox{名目GDP}\\
\end{eqnarray}

 また、貨幣回転率の変化量vは、次式となります。

\displaystyle
v  = \frac{1}{V}\frac{dV}{dt}

 実際には微分ではなく、ある時刻tの貨幣回転率V_tと時刻t-\Delta tの貨幣回転率V_{t-\Delta t}の差分量から変化率v_tを計算します。

\displaystyle
v_t = \frac{1}{V_{t-\Delta t}}\frac{V_{t}-V_{t-\Delta t}}{\Delta t}

 ここで、\Delta tは、例えば1年として、年単位の変化率を計算します。

2. 使用した統計データ

 現状では、貨幣回転率の統計を直接得ることはできません*2。このため、名目GDP Gと貨幣量M(主にマネーストック)を用いて計算します。名目GDPは内閣府が公表し*3、マネーストック統計は日銀が公表しています*4ので、本記事ではこれらの統計データを用いて貨幣回転率を計算します。

 なお、マネーストック統計は、M2とM3を用いました。それぞれの違いは、以下の通りです。

M2=現金通貨+預金通貨+準通貨+CD(預金通貨、準通貨、CDの発行者は、国内銀行等

M3=現金通貨+預金通貨+準通貨+CD(預金通貨、準通貨、CDの発行者は、全預金取扱機関

M3は、M1に準通貨やCDを加えた指標です。準通貨の大半は、定期預金ですが、定期預金は解約して現金通貨や預金通貨に替えれば決済手段になる金融商品で、預金通貨に準じた性格を持つという意味で準通貨と呼ばれています。

M2は、金融商品の範囲はM3と同様ですが、預金の預け入れ先が限定されています。
日本銀行, 「マネーストック統計のFAQ」より引用。


 今回は、以下に示す1995年からのデータを用いています。

対象期間

 M2統計は1967年1月、M3統計は1996年1月、GDPデータは1995年度のデータまで遡及できます。このため、1995年度から2018年度を対象に分析しました。なお、M2、M3は年度末の3月の平均残高データを用いています。

マネーストック統計M2, M3

 現在のマネーストック統計のM2、M3は、2003年3月からデータを収集しています*5。それ以前のデータとしては、若干定義が異なりますが、1967年1月から収集しているマネーサプライ統計の「M2+CD」が現在のM2に、1996年月から収集しているマネーサプライ統計の「M3+CD」から「金銭信託」を除いたものが現在のM3に対応します。

 また、マネーサプライ統計でも、1998年4月に定義変更があり、調査対象金融機関が変更されています。

 データ収集の定義変更により、段差が生じますが、その段差は比較的小さく、データ重複がある部分を見ても最大でも1%程度の違いです(付録A参照)。

GDP統計

 今回の解析では、「名目年度」のGDPデータを用いました。2008SNA基準のデータで、1994年度から2018年度まであります。GDPデフレータもあります。

3. 貨幣量回転率の計算結果

 内閣府公表の名目GDPと日銀公表のマネーストック統計M2, M3を用いて貨幣回転率を計算した結果のグラフは、次に示す通りです。

 貨幣回転率は、M3の一部の期間を除いて、一貫して減少しており、お金が使われず、貯蓄に回ったことが伺えます。

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日本の貨幣回転率(M2) (データラベル付き)


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日本の貨幣回転率(M3) (データラベル付き)


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日本の貨幣回転率(M2,M3)  (データラベル付き)
M2とM3のグラフを重畳させたもので、内容は同じです。


 なお、参考までに米国における貨幣回転率を付録Bに示します。

4. 貨幣回転率の変化率の計算結果

 貨幣量回転率の変化率vの計算結果は、下図の通りです。M2から計算した貨幣回転率の変化率の方が、M3から計算した変化率よりも、小さい傾向にあります。

 M2とM3の違いは、対象機関の期間の違いですが、M2には、M3で調査対象となっている「ゆうちょ銀行」と「その他金融機関(全国信用協同組合連合会、信用組合、労働金庫連合会、労働金庫、信用農業協同組合連合会、農業協同組合、信用漁業協同組合連合会、漁業協同組合)」が除かれています*6。この差は、2019年3月末現在で約330兆円です。

 これらの金融機関を加えると、貨幣回転率の減少率が小さくなるということは、これらの金融機関の貨幣回転率の減少率が小さいということです。理由は分析できていませんが、銀行に比べると、事業性資金が多く、貯蓄に回りにくいということかもしれません。

 2005年、2006年ではM3の貨幣回転率が上昇しています。これは、都銀・地銀では貸出金の縮小の底が2005年頃でそれ以降は貸出金が増加しているにも拘わらず、「その他の金融機関」では貸出金縮小の底が2008年まで続いた影響と考えられます*7

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貨幣量回転率の変化率


 貨幣回転率の変化率の平均は、対象期間23年の平均でM2ベースの変化率が-2.4%、M3ベースの変化率が-1.6%でした。直近からの平均期間を変更したときの変化率は以下の通りです。

年数1年5年10年15年20年23年
期間20182014-20182009-20182004-20181999-20182006-2018
平均変化率(M2)-1.81-1.54-2.24-2.18-2.27-2.35
平均変化率(M3)-1.52-1.07-1.72-1.42-1.41-1.62
貨幣回転率の平均変化率


 -1~-2%強の間で貨幣回転率が低下しています。長期のデフレは貨幣回転率の低下によって説明できます。つまり、投入された貨幣が貯蓄に回ってしまって、使われないということです。貯蓄が進む状況が長期のデフレ傾向をもたらしているとも言えます。

5. 貨幣回転率の変化率とインフレ率・GDP成長率

5.1 名目GDP成長率との関係式

 名目GDP成長率と貨幣量の変化率やインフレ率・実質GDP成長率との間には、フィッシャーの交換方程式から導かれる次の関係があります*8


\begin{eqnarray}
m+ v & = & p+y = g\\
ここで、&&\\
& m :& 貨幣増加率\\
& v :& 貨幣回転率の変化率\\
& p :& インフレ率\\
& v :& \mbox{実質GDP成長率}\\
& g :& \mbox{名目GDP成長率}\\
\end{eqnarray}

5.2 計算結果

 それぞれの値を以下の二つにグラフにまとめました。それぞれデータ自体は同じですが、「m+v=g(=p+y)」のグラフでは、貨幣増加率 m、貨幣回転率の変化量 v、名目GDP成長率 gをハイライトしています。また、「p+y=g(=m+v)」では、インフレ率 p、実質GDP成長率 y、名目GDP成長率 gをハイライトしています。

 景気の谷(実質GDP成長率 y の谷)は、以下の経済状況を反映しています。

  • 1998年:金融危機・消費税導入
  • 2001年:ITバブルの崩壊・911同時多発テロ
  • 2008年:リーマンショック
  • 2011年:東日本大震災
  • 2014年:アベノミクス不況(インフレ誘導・円安誘導・消費税導入)

 2014年のアベノミクス不況は、国内政策を主な原因とする景気の谷ですが、ここ20年の不況の中では国内政策が引き起こした不況という意味で特異な不況と言えます。

m(貨幣増加率)+v(貨幣回転率変化率)=g(名目GDP成長率)

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名目GDP成長率と貨幣増加率・貨幣回転率の変化率(M2) (M3の結果はこちら)


 名目GDP成長率 g は、貨幣回転率の変化率 v と強い相関があることが分かります。貨幣回転率の低下は、すなわち、お金を使わないということを意味しますので、経済成長率と相関を持つことは理解できると思います。

 また、貨幣増加率(M2増加率)が2006年までは減少トレンドですが、国債発行額の減少と共に、バブル崩壊後の不良債権処理(銀行の貸し渋り、企業の債務縮小等も含む)も関係していると考えられます。

p(インフレ率)+y(実質GDP成長率)=g(名目GDP成長率)

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名目GDP成長率とインフレ率・実質GDP成長率(M2) (M3の結果はこちら)


 このグラフを見ると、名目GDP成長率 g は、基本的に実質GDP成長率と相関が強く、インフレ率 p との相関はあまりないことが分かります。

 但し、2014年の実質GDPの落ち込みとインフレ率の上昇は関連しており、アベノミクスによる円安誘導・インフレ誘導・消費税増税によって、物価が上昇し、消費は冷え込んで、景気が落ち込んだ(実質GDPが低下した)と考えられます。

v (貨幣回転率変化率) - y (実質GDP成長率)

 p=m+(v-y) であり、m は比較的なだらかに変化するので、必然的にインフレ率 p(v-y)の相関は高くなります。また、貨幣量Mは一貫して増えているので、貨幣増加率 m は基本的に正であり、インフレ圧力になります。一方、(v-y) は負となっているので、デフレ圧力となります。

 一方、2008年のリーマンショックの景気の落ち込みでは、実質GDP成長率 y とともに貨幣回転率の変化率 vも下がったため、v-y に目立つ変化はありませんでした。 

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v-y


 2014年のアベノミクス不況では、実質GDP成長率が落ち込み、(v-y) が大きくなったことで、インフレになっています。

年数1年5年10年15年20年23年
期間20182014-20182009-20182004-20181999-20182006-2018
v-y の平均値 (M2)-2.50-2.42-3.18-3.00-3.16-3.21
v-y の平均値 (M3)-2.21-1.95-2.66-2.23-2.30-2.48
v-y の平均値


6. まとめ

 日銀のマネーストック統計と内閣府のGDP統計を用いて、貨幣回転率を計算しました。

 貨幣回転率は、ここ20年以上、一貫して低下しており、お金を使わない(つまり、貯蓄をする)ということが定着してしまっているようです。

 平均で1%程度の実質GDP成長率と-2%の貨幣回転率の低下は、それだけで-3%のデフレ圧力となります(p=m+v-yで(v-y)が-3%ということ)。

 これまで、異次元緩和政策によって、貨幣量Mを増加させることで、デフレ脱却を試みていますが、あまり成果はありません。

 多額の財政赤字による貨幣供給を行えば、インフレ率は高くなりますが、同時に財政悪化をもたらすため、行うべきではありません。

 本質的には、貨幣回転率を上げる、せめて、下がらないようにすることが必要です。つまり、国民の財布の紐が緩むような政策が求められます。

(2019/7/13)

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付録A. マネーストック統計の段差

 日銀のデータベースから、マネーストック統計のデータをダウンロードすることができます。今回の記事では、次のデータ系列を用いています。

M2

利用期間系列名称(データコード)
① 1967/1-1999/3(更新停止)旧M2+CD/平/マネーサプライ(1999年3月まで)(MD02'MAMS1ANM2C)
② 1998/4-2003/3(更新停止)M2+CD/平/マネーサプライ(2008年4月まで)(MD02'MAMS3ANM2C)
③ 2003/4-2019/6M2/平/マネーストック (MD02'MAM1NAM2M2MO)

 また、各データの重複収集期間におけるデータのずれは以下の通りです。

重複期間比の最大比の最小比の平均
①と②1998/4-1999/3②/①100.48100.41100.45
②と③2003/4-2008/4③/②99.5799.4199.49

 1999年4月のマネーサプライの定義変更で約0.4%大きくなり、2003年4月のマネーサプライからマネーストックへの変更で約0.5%小さくなり、データに段差が発生しています。

M3

利用期間系列名称(データコード)
① 1996/1-1999/3(更新停止)_旧M3+CD(新)−金銭信託/平/マネーサプライ(1999年3月まで)
(MD02'MAMS1ANM3)
② 1998/4-2003/3(更新停止)_M3+CD−金銭信託/平/マネーサプライ(2008年4月まで)
(MD02'MAMS3ANM3)
③ 2003/4-2019/6M3/平/マネーストック (MD02'MAM1NAM3M3MO)

 また、各データの重複収集期間におけるデータのずれは以下の通りです。

重複期間比の最大比の最小比の平均
①と②1998/4-1999/3②/①100.65100.61100.63
②と③2003/4-2008/4③/②99.6298.8499.36

1998年4月のマネーサプライの定義変更では0.6%大きくなり、2003年4月のマネーサプライからマネーストックへの変更で最大で1.1%程度小さくなっています。

段差の補正

 貨幣回転率の変化率を計算する際には、次のように段差を補正した上で、計算しました。


\begin{eqnarray}
 (系列③の補正データ) & = & (系列③の原データ) \\
 (系列②の補正データ) & = & (系列②の原データ) \times (③/②の比の平均)\\
 (系列①の補正データ) & = & (系列①の原データ) \times (②/①の比の平均) \times (③/②の比の平均)\\
\end{eqnarray}

付録B. 米国の貨幣回転率

 セントルイス連邦準備銀行のモームページで示されている "Velocity of M2 Money Stock (M2V)"のグラフは次の通りです*9

 このグラフでは1990年頃までは、回転率は1.7~1.9の間で遷移していますが、1990年代に上昇を続け、1997年の第3四半期に2.2のピークとなり、その後、下降トレンドに入って現在に至っています。

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米国の貨幣回転率

インフレ率・経済成長率と貨幣量の変化率との関係式(フィッシャーの交換方程式からの導出)

 今回の記事では、貨幣数量説における代表的な方程式であるフィッシャーの交換方程式から、インフレ率・経済成長率と貨幣量の変化率の関係式について導きます。

1. フィッシャーの交換方程式

 貨幣数量説で用いられるフィッシャーの交換方程式は、次式で表されます。  


\begin{eqnarray}
MV & = & PQ\\
ここで、&& \\
& M:& 貨幣量\\
& V: & 貨幣回転率\\
& P:& 物価水準\\
& Q:& 取引量\\
\end{eqnarray}

 ここで、右辺の PQ は、名目GDPと見做して、物価水準としてGDPデフレータ、取引量として実質GDPを用いて表すこともできます(ケンブリッジ方程式でマーシャルの k1/Vとした場合と同じ)。


\begin{eqnarray}
MV & = & PY \\
ここで、&& \\
& P:& \mbox{GDPデフレータ} \\
& Y:& \mbox{実質GDP} \\
\end{eqnarray}

 また、


\begin{eqnarray}
G & = & PY \\
ここで、&& \\
& G:& \mbox{名目GDP} \\
\end{eqnarray}

2. 時間微分による交換方程式

 この方程式の変数を時間の関数として、書き直します。


\begin{eqnarray}
M(t)V(t) & = & P(t)Y(t) \\
\end{eqnarray}

 上式を時間微分すると、次式となります。


\begin{eqnarray}
\frac{dM}{dt}V + M\frac{dV}{dt} & = & \frac{dP}{dt}Y + P\frac{dY}{dt}\\
\end{eqnarray}

3. 変化率による交換方程式

 各微分と貨幣増加率 m、貨幣回転率の変化率 v、インフレ率 p、実質GDP成長率 y との関係は、次の通りです。


\begin{eqnarray}
貨幣増加率 m & = & \frac{1}{M}\frac{dM}{dt} \\ 
貨幣回転率の変化率 v &  = & \frac{1}{V}\frac{dV}{dt}\\ 
インフレ率 p  & = & \frac{1}{P}\frac{dP}{dt} \\
\mbox{実質GDP成長率} y & = & \frac{1}{Y}\frac{dY}{dt} \\
\end{eqnarray}

 これらを時間微分の方程式に代入すると、


\begin{eqnarray}
mMV + vMV & = & pPY + yPY \\
\end{eqnarray} 

 従って、MV=PY から次式が得られます。


\begin{eqnarray}
m+v=p+y
\end{eqnarray} 

 また、右辺は実質GDP成長率 y とインフレ率 p の和で、名目GDP成長率 g を表しています。

4. 最後に

 フィッシャーの交換方程式を取り扱う場合、貨幣回転率は一定と仮定されることが多いですが、一定と仮定しないことで導かれる関係式は、

(貨幣増加率) + (貨幣回転率の変化率) = (インフレ率) + (実質GDP成長率)

という式で、貨幣回転率の変化率の項が残ります。

 この式は、インフレ率・経済成長率などを考える上で有効な示唆を与えてくれます。日本では、少なくとも1970年以降、貨幣回転率の低下トレンドにあり、特に近年はインフレ率・経済成長率が低いため、この貨幣量回転率の変化率を無視せずにマクロ経済を考えることが重要と思います。

(2019/7/9)

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【年金】第2回 2000万円を貯蓄する

 20歳から60歳の間の40年間で2000万円を積み立てる場合を考えてみましょう。運用利回り0%なら年額50万円の積み立てが必要ですが、運用益が得られれば、積立金額は少なくて済みます。

 今回は、どのくらいの運用利回りが得られれば、どのくらいの積立額で済むかを、いくつかのシナリオのもとシミュレーションしてみました。

1. 積立額と運用残高

 図は運用利回り3%のときの積立額と運用残高の関係を示しています。この場合は、月々26万円、積立総額1030万円で2,000万円の資産を形成することができます。

 また、運用額が大きくなる最後の10年間で380万円の運用益を稼ぎ出すことができています。これは、最初の25年間の運用益よりも大きい額です。複利の効果が効いています。

 運用利回りが良ければ、同じ積立額でも多くの貯蓄をできますし、目標とする貯蓄が同じであれば、積立額を少なく済ますことができます。

 数十年にも及ぶ超長期投資では、小さな運用利回りの違いでも、大きな結果の違いとなります。

運用期間10年 15年 20年 25年 30年 35年 40年
積立額 258万円386万円 515万円 644万円 772万円 876万円 1,030万円
運用残高304万円493万円 713万円 967万円 1,262万円1,604万円2,000万円
運用益 +46万円+107万円+198万円+323万円+490万円+703万円+970万円
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積立額と運用残高。運用利回り3%の場合。

2. 65歳からの約5万円を引き出すための資金形成

 総務省統計局の2017年の家計調査報告*1では、高齢夫婦無職世帯で月々54,519円が不足分とされています。

 また金融庁の金融審議会の報告書*2では、家計調査報告のデータをもとに「不足額の総額は1,300万円~2,000万円になる」としています。

 ここでは、次の3つのシナリオについて、必要な月々の積立額を試算しました。運用利回りは0%~5%で、それぞれ計算しています。

  • シナリオ①:40年間定額積立し、2,000万円を貯める場合。
  • シナリオ②:20歳から60歳まで定額積立し、65歳から90歳まで月々54,519円を引き出し、90歳で残額0円の場合。
  • シナリオ③:20歳から60歳まで定額積立し、65歳から90歳まで月々54,519円を引き出し、90歳で残額1,000万円の場合。

 シナリオ①は、40年間で2,000万円を貯蓄するシナリオです。シナリオ②、シナリオ③は65歳から月々54,519円引き落として、90歳時点で運用残高をゼロの想定と、余裕を見て残高1,000万円を想定した場合です。

シナリオ①:40年間定額積立し、2,000万円を貯める場合

 利回り0%であれば、年額50万円の積立てが必要ですが、利回り3%であれば、約半分の26万円で、2,000万円を積み立てられます。

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シナリオ②:月々54,519円の引き出し(90歳で残額0円)

 20歳から60歳まで定額積立し、65歳から90歳まで月々54,519円を引き出し、90歳で残額0円の場合です。

 残高のピークは、利回り0%の最悪の場合で1,700万円です。2,000万円必要なのは、95歳まで生きる場合なので、90歳の想定で若干少なくなっています。

 必要な積立額は、利回り0%で42万円、利回り3%で13万円と、1/3以下の積立額で済みます。

 シナリオ①では利回り0%と利回り3%での必要積立額の差は1/2程度でしたが、シナリオ②では1/3となりました。これは、想定する運用期間が40年から70年に伸びた影響が大きいです。

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シナリオ③:月々54,519円引き出し(90歳で残額1,000万円)

 20歳から60歳まで定額積立し、65歳から90歳まで月々54,519円を引き出し、90歳で残額1,000万円の場合です。

 必要積立額は、利回り0%で67万円、利回り3%で19万円となります。やはり、1/3以下の運用額で済みます。月々1万6000円にも満たないです。

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運用利回りに対する必要積立額

 運用利回りに対する必要な積立額を表とグラフにまとめました。

 運用利回りが3%程度あれば、月々2万円前後の定額積立でも、老後25年間、月々約5.5万円の支払いに十分な資産が形成できることが分かります。特に90歳時点で老後資産を全て使いつくすつもりであれば、利回り3%で運用できれば、月々1万円ちょっとの積立で済みます。

 また、2,200万円を3%で運用できれば、年間66万円(=5.5万円/月)の運用益が得られますので、元本に手を付けずに配当だけで、月々の生活費の不足分を補うことができます(シナリオ①で貯めた2,000万円を65歳まで3%運用できれば、2,318万円になります)。

表. 各シナリオ、各利回りで必要な積立額。 年額、単位は円。
運用利回り0.0% 0.5% 1.0% 1.5% 2.0% 2.5% 3.0% 3.5% 4.0% 4.5% 5.0%
シナリオ①50万45万40万36万32万29万26万23万20万18万 16万
シナリオ②42万35万29万24万20万16万13万11万9.0万7.4万6.1万
シナリオ③67万54万44万35万29万23万15万19万12万9.7万 7.8万
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運用利回りに対する必要積立額。

3. 国民年金の積立

 今回、シミュレーションに使ったプログラムを使って、国民年金についても必要な運用利回りを計算してみました。

国民年金の保険料16,410円*3(年額196,920円)を40年間積立て、65歳から90歳まで月額65,008円*4支給する場合に必要な運用利回りは、2.46%です。支給開始年齢を60歳としても、運用利回り3.14%あれば十分です。

 この程度の運用益が得られれば、国民年金は賦課方式ではなく、積立方式で、しかも、税金投入することなく年金制度は運用・維持できたはずです。

 現在、GPIFによる年金運用の利回りは実質値で3.01%(2001年からの17年間の平均、賃金上昇率で実質化)です*5。この運用成績からすれば、65歳からの給付開始なら、国民年金も積立方式で運用可能です(が、既に賦課方式にしてしまった制度を積立方式に戻せるのか?という問題はあります)。

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4. 最後に

 ここで示した利回りと貯蓄のシミュレーションでは、インフレや税金を考慮していません。インフレを考慮すれば、例えば、必要な運用利回りが3%、インフレ率2%であれば、名目運用利回りとしては5%が必要となります。利息・配当に20%課税されるなら、6.25%の名目運用利回りが必要となります。

 個人で預金や債券で運用している限りは、実質運用利回り3%を確保することは難しいでしょう。というのは、金利とインフレ率は乖離することはありますが、長期に亘って金利がインフレ率よりも3%以上となり続けることは、これまでなかったからです*6

 一方、株式の場合は、預金よりもインカムゲインが良く、さらに株式価格がインフレや経済成長に連動します。米国株式であれば、例えば、ダウ平均は、1989年6月30日の2,440ドルから2019年6月19日の26,504円と30年間の間で10倍以上の価格となっています。為替変動は、1ドル143.92円(1989年6月)から107.77円(2019年6月20日)で約3割ほどドルは安くなっていますが、(日本は30年間でほとんどインフレはありませんので)実質利回りで約8倍のパフォーマンスが得られたことになります。年率換算で7.1%です。つまり、米株投資をしていれば、十分実質3%利回りは可能だったのです。

 日本の年金も、米国株の半分でいいから、運用利回りが得られていれば、現在の年金問題は発生していなかったでしょう。

(2019/6/20)

関連記事

*1:総務省統計局, 「家計調査報告(家計収支編)-平成29年(2017年)平均速報結果の概要-」, 2018.2.16公開. PDF資料

*2:金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書, 「高齢社会における資産形成・管理」. 2019.6.3. PDF資料p21

*3:日本年金機構, 「国民年金保険料」, 2019.5.7.

*4:厚生労働省, 「平成 31 年度の年金額改定についてお知らせします~年金額は昨年度から 0.1%のプラス改定です~」, 2019.1.18.

*5:年金積立金管理運営独立行政法人(GPIF), 「平成29年度業務概況書」
 実質化は名目賃金上昇率を基準としています。2001年から17年間の平均の名目運用利回りは2.78%、名目賃金上昇率は-0.22%から、実質的な運用利回りを3.01%と計算。名目運用利回りは、運用手数料等を控除した後の値です(p15)。
 GDPデフレータから計算すると、114.08(2000)の値と102.83(2017)の値から、 ^{17}\sqrt{\frac{102.83}{114.08}}-1=-0.61%なので、GDPデフレータベースの実質利回りは2.78+0.61=3.39%となります。
 また、アベノミクスによる株買い支えがある点は差し引いてみた方がよいことや株価は変動が大きいので、キャピタルゲインについてはまだ不確かな利益ですが、インカムゲインは1.60%あるので、この部分は確定した運用益と考えてよいと思います。

*6:ファイナンシャルスター, 「金利とインフレ率推移(チャート・変動要因)【①先進国】」, 2019.4.25.。日本、米国、ユーロ圏、スイスに関しては、平均すれば金利とインフレ率が同程度になっています。イギリスの2008年までの政策金利については、例外的に長期に亘り政策金利がインフレ率を上回っています。

【年金】第1回 老後の生活費

 金融庁の金融審議会が出した報告書をきっかけに年金の2000万円問題が話題になっています*1。日本の年金は、長らく国債を中心に運用されていたために、運用成績は決して良いとは言えませんでした。現在、年金が問題となっているのも、運用成績が悪いことが原因の一つです。

 さて、今回のシリーズ記事では、年金について、老後苦労しないために、どのくらいの積み立てが必要であるか、いくつかのパターンで計算しようと思います。

 第1回目は、老後に必要になる生活費についてまとめます。第2回目以降で老後生活のための資産運用の試算について書きたいと思います。

1. 老後の生活費

 老後の生活費はどのくらいになるでしょうか?

 老後の生活費に関しては、総務省統計局の「家計調査報告」*2に、高齢夫婦無職世帯・高齢単身者無職世帯の平均の家計収支が記載されています。

 ここで、高齢夫婦世帯、高齢者単身者世帯の定義は、次の通りです。

  • 高齢者夫婦無職世帯:夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯
  • 高齢単身者無職世帯:60歳以上の単身無職世帯
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高齢夫婦無職世帯の家計収支。家計調査報告(2017)のp28より引用(内訳は付録A参照

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高齢単身者無職世帯の家計収支。家計調査報告(2017)のp39より引用(内訳は付録A参照


 概要をまとめると、以下の通りです。

支出総額 社会保障給付(年金)不足分
高齢夫婦無職世帯 263,717円191,880円 54,519円
高齢単身者無職世帯154,742円107,171円 40,715円


 金融庁の報告書では、この「家計調査報告」の結果に基づいて、「夫 65 歳以上、妻 60 歳以上の夫婦のみの無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円」としています。

2. 「家計調査報告」の注意点

 「家計調査報告」を用いるときの注意点を以下に挙げます。

現在の年金給付が前提

 家計調査報告の年金額は、あくまで現在の金額です。現状の年金給付額が将来にわたって保障されるわけではありません。

 将来的には、マクロスライドによって年金は減額されていくことが予想されますので、老後に不足となる金額は大きくなる可能性があります(付録B参照)。

データは平均値

 「家計調査報告」での社会保険給付191,880円や107,171円というのは、あくまでも平均値です。多い人もいれば、少ない人もいます。詳細については、次節で説明します。その他の収支についても同じです。

支出の内訳

 付録Aに示した支出の内訳をよく見てください。自分の現在の生活実感と比較して、どのように感じますか?これを多いと思うか、少ないと思うか、人それぞれでしょう。

 仮に、あなたが5万円の赤字なしで生活できるということであれば、あなたには年金2000万円問題はありません。

 あくまで、年金額が現在程度の水準が保たれることが前提です。高齢者にとっては今と比べて年金受給水準があまり下がらないという仮定は成り立つかもしれませんが、若い人にとっては、そうはなりませんので、現在の高齢者よりも、もっと質素に生活しなければ赤字を回避できないと考えれます。

 不足額が5万円と言っても、ゆとりを得るために、十分にある貯蓄を取り崩しての赤字と考えられる場合も多いでしょう。なぜなら、高齢者世帯の貯蓄残高の平均値は2,384万円にも上るのです(付録C参照)。

住居費の取り扱い

 高齢夫婦世帯で13,656円、高齢単身世帯で14,538円となっています。それぞれの世帯の持家率は示されていませんが、60~69歳、70歳以上、65歳以上の二人以上世帯の持家率は、それぞれ93.0%、94.5%、94.2%です(報告書 p24)。この影響で住居費が小さくなり、賃貸世帯はこの調査結果との乖離が大きくなっていると考えられます。このため、賃貸世帯では、年金だけでは大幅に不足する可能性があります。 

 住居費については、この統計を本当に信じてよいのか、疑問になる点があります。それは、35歳未満の単身世帯、持ち家率2.2%に対して、住居費が29,811円となっている点です(報告書 p38)。ほとんどの世帯が賃貸アパート・賃貸マンションに住んでいるということになると思いますが、値段が安すぎます。筆者の理解が間違っているのかもしれませんが、統計全体として住居費が全体的に安すぎると感じています。特にこの単身者の住居費については、理解できません。

60歳~65歳の年金未支給期間の取り扱い

 60歳から65歳までの間では、繰り上げ給付を受けない限り、年金は給付されません*3*4。老齢厚生年金については、この調査時点で60歳の昭和32年生まれの人は61歳からの支給になりますので、1年間だけ給付がありません。それ以外の人は老齢厚生年金の給付はされます。今後、支給開始年齢が遅くなりますので、60歳~65歳までの年金給付がない世帯が増えることで、平均収入は減少することが予想されます。

その他の注意事項

 収入や支出が、どの項目に対応するか不明な場合、収支項目分類を参照してください。やはり、注意が必要なのは、住居関連の支出です。

  • 住宅ローンは、支出には含めません。
  • 固定資産税等は、非消費支出の「直接税」に含まれます。
  • マンションなどの管理費は、「住居」に含まれると思われますが、修繕積立金については不明です(筆者は良く分かりません)。
  • 自動車購入費は、「交通・通信」に含まれます。

3. 年金受給額

 「家計調査報告」の社会保険給付191,880円や107,171円というのは、あくまでも平均値です。多い人もいれば、少ない人もいます。自分がもらえる年金の見込み額は、ねんきん定期便で確認できますので、まずは自分の年金の見込み額を把握しましょう。

3.1 厚生年金の平均月額

 厚生労働省が発表している「厚生年金保険・国民年金事業の概況」(PDF)では、次の図に示す分布となっています。

 全体の平均値は144,903円、男性の平均値は165,668円、女性の平均値は103,026円です。「家計調査報告」は、厚生年金受給者以外にも国民年金受給者、受給なしの世帯も含まれ、さらに、世帯単位の統計ですので、いろいろと違いが出ています。

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厚生年金の受給額の分布。シニアガイドより引用。

3.2 「国民生活基盤調査」の世帯収入

 「家計調査報告」では二人以上の勤労世帯の実収入は533,820円、可処分所得は434,415円となっています。40歳未満に限った場合でも、実収入477,325円、可処分所得399,999円です。金額が大きいと感じる人も多いのではないかと思います。これは、平均値を使っているからです。統計は異なりますが、厚生労働省の「国民生活基礎調査」では、約6割の人は平均以下の所得水準です。

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世帯の所得金額の分布。国民生活基礎調査(2017)より引用。


 老後収入においても、あくまで平均ですので、平均以下の人も多数います。自分がもらえる年金額を知ったうえで、不足額を考える必要があります。

4. 最後に

 今回は、年金2000万円問題のもととなった総務省統計局の「家計調査報告」をもとに、老後の生活費を見てきました。自分のライフスタイルによって、必要な生活費は異なります。また、年金収入も人それぞれです。まずは、自分の状況を把握して、老後の資金計画を立てることが必要でしょう。

 第2回以降は、老後に必要な資金の運用についてまとめます。

(2019/6/18)

関連記事

付録A:老後の家計収支(家計調査報告)

 老後の家計収支の詳細を示します。2017年の家計調査報告からの引用です。

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高齢夫婦無職世帯の家計収支。家計調査報告(2017)の p29より引用。


f:id:toranosuke_blog:20190618085927j:plain 高齢単身無職世帯の家計収支。家計調査報告(2017)のp40より引用。

付録B:年金の減額

 図は2014年の年金制度の財政検証*5に基づいて計算された年金額の変化です。2009年の財政検証からの差分を表しています。

f:id:toranosuke_blog:20190624175214g:plain
ダイヤモンドZAI ONLINEより引用

付録C:高齢者世帯の貯蓄額

 総務省の家計調査では、家計収支と共に、貯蓄・負債についても調べています*6

 この報告における高齢者世帯は、「二人以上の世帯のうち世帯主が60歳以上の世帯」、高齢無職世帯は「二人以上の世帯のうち世帯主が60歳以上で無職の世帯」です。家計収支の高齢者世帯の分類とは異なりますが、およその目安にはなります。

 高齢者世帯の平均貯蓄額は2,384万円です。2,500万円以上の貯蓄残高を持つ世帯が全体の34.1%を占め、2,000万円以上になると42.1%にもなります。高齢者無職世帯については、頻度分布は示されていませんが、平均貯蓄額は2,348万円となっています。

 2,500万円以上の貯蓄がある世帯では、2,000万円問題は発生しないと思われます*7。むしろ、5万円不足という年金2000万円問題の発生は、ゆとりのある生活のために貯蓄を切り崩している、これらの裕福な世帯が原因かもしれません。

 つまり、貯えがあるから、十分な赤字が出せるのであって、貯えがなければ、赤字は出しません(出せません)。本当に生活ができないほどの不足であれば、働く必要がありますが、この調査では、そのような視点のまとめはなく、実態は不明です。

 一方、貯蓄が少ない世帯は、年金額も少ないと推測できますが、このような世帯では、生活が苦しく、高齢になっても、仕事をして稼ぐ必要がある場合も多いと思います。

f:id:toranosuke_blog:20190618202831j:plain 高齢者世帯の貯蓄残高の分布。家計調査年報(貯蓄・負債編)より引用。

*1:金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書, 「高齢社会における資産形成・管理」. 2019.6.3.(PDF)
  この報告書のp21に「夫 65 歳以上、妻 60 歳以上の夫婦のみの無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ 20~30 年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で 1,300 万円~2,000 万円になる」とあり、これが抜き出し報道され、問題となりました。
 2018年の家計調査報告(PDF, 2019.5.10公開)では不足額は約4.2万円と改善されていますが、本稿では問題となった2017年の報告書の数字に基づきました。

*2:総務省統計局, 「家計調査報告(家計収支編)-平成29年(2017年)平均速報結果の概要-」, 2018.2.16公開. PDF資料

*3:日本年金機構, 「老齢厚生年金の受給要件・支給開始時期・計算方法 老齢年金(昭和16年4月2日以後に生まれた方)」. 特別支給の老齢厚生年金の支給開始年齢(PDF)

*4:厚生年金、国民年金の繰り上げ・繰り下げについては、「平成29年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況 」(厚生労働省年金局)に報告されています。厚生年金の繰り上げ受給率は、0.2%(p15)、国民年金は14%(p25)です。

*5:厚生労働省, 「将来の公的年金の財政見通し(財政検証)」.

*6:総務省統計局, 「家計調査年報(貯蓄・負債編)平成29年(2017年) 貯蓄・負債の概要」. PDF資料

*7:終末期には、病院や老人ホームへの入院・入所期間が長くなることがときどき発生します。5年、10年、20年と長期化する場合もままあるので、そのような事態を目撃していると、子供に迷惑を掛けないためにと、貯蓄を使わない高齢世帯も多いと思います。私の身近で終末期が長期化したケースでも本人の貯えを使って凌いだということなので、本人に潤沢な貯えがあったと思われます。必ずしも高所得世帯ではありませんでしたが、贅沢をせず、貯蓄をする世代でもあり、その貯えが役に立ったわけです。貯えがない場合、現状の制度では、子供が終末期の費用を負担することになります。これが、高齢者が安心してお金を使うことができない原因の一つと思います。そして、それは現役世代も同じです。過度に貯蓄すれば、デフレになりますが、日本経済がデフレから脱却できない理由の一つも、将来不安に原因があります。

【コラム】株式水準の決定方程式と気体の状態方程式

 二つの方程式が並んだ、変なタイトルです。変なこと考えてます。

 株式水準の決定方程式を見て、ふと気体の状態方程式を思い浮かべました。株価Pと気体の状態方程式の圧力pが似ているな、と。株取引の動きは、さながら気体の分子運動と私には見えてきました(笑)。

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wikipediaより


 こんなアナロジーから、株式水準の決定方程式を考えてみました。

1. 株価水準の決定方程式と気体の状態方程式

 株価水準の決定方程式(株価決定式)は、次の通りです。


\begin{eqnarray}
PN & = & Mr \\
 ここで、 & & \\
& P:& 株価水準\\
& N:& 株式数\\
& M:& 貨幣量 \\
& r: & 株式比率\\
\end{eqnarray}

 一方、気体の状態方程式(気体状態式)は、次の通りです。


\begin{eqnarray}
pV & = & nRT \\
 ここで、 & & \\
& p:& 圧力 \\
& V: & 体積\\
& n:& 物質量\\
& R:& 気体定数\\
& T:& 温度\\
\end{eqnarray}

2. 株価決定式と気体状態式の対応

 この二つの式がどのように対応しているように見えるかというと、次の通りです。

株価決定式気体状態式
株価 P (yen/stock)圧力 p (Pa=N/㎡)
株式数 N (stock) 体積 V (L=㎥)
貨幣量 M (yen) 物質量 n (mol)
株式比率 r (無次元量) 気体定数×温度 RT (J/mol)

 単位を適当に付しましたが、気体状態式の左辺の気圧の単位パスカルPaは  N/m ^2、体積の単位は  m ^3、PVの単位は  Nm、つまり、エネルギーの単位のジュール J (=Nm)です。

 一方、右辺は、物質量 (mol)×気体定数(J/(K mol)×温度(K))で、単位はジュールJで、単位系は一致していることが分かります。また、(気体定数 R)×(温度 T)は、単位物質量あたりの分子が持つエネルギーを意味します*1

 気体状態式と株価決定式で表される現象を定性的に言うと、例えば、次のようになります。

  • 体積Vが大きくなれば(株式分割して株式数Nが多くなれば)、
      → 圧力pは低くなる(額面の株価Pは下がる)。
  • 閉じ込める気体の量nが多くなれば(貨幣量Mが多くなれば)、
      → 圧力Pが高くなる(株価Pが上がる)。
  • 温度Tが高くなれば(株式比率rが高くなり市場が過熱すれば)、
      → 圧力pが高くなる(株価Pが高くなる)。

 株価決定式は、気体状態式に類似性があることが分かります。

3. 株式におけるボイルの法則

 ボイルの法則は、株式ではどのように対応するのでしょうか?それは、自社株買いや株式分割における株価の決定則に対応します。

 ボイルの法則は、温度一定Tならば、圧力と体積の積は一定である、という法則です。


pV = 一定

 ここで、体積Vを変更して、V'になるとすれば、圧力p'は次式となります。

\displaystyle
p'  = \frac{pV}{V'}

 圧力・体積を株価P、P'、株式数N、N'に置き換えると、

\displaystyle
P'  = \frac{PN}{N'}

 株式分割によって、株数を2倍の2Nにすれば、株主には新しくN株が与えられ、新しい株価P'は元の株価Pの半額になります。

 自社株買いでは、株式数がN'に減少することで、一株当たりの会社価値が上昇し、株価はP'=PN/N'に上昇することが期待できます(会社価値を利益として説明することが多いです)。

 まさに、株式におけるボイルの法則です。

4. 株式におけるシャルルの法則

 シャルルの法則は、どうでしょうか?

 シャルルの法則における圧力pが一定という仮定は、株式市場では、株価Pが一定という仮定になります。この仮定をおくことは通常できないために、シャルルの法則に直接的に対応する現象は、株式市場には存在しません。

 敢えて言えば、公募増資をしても株価は下がらないと思う会社側の思惑が株式におけるシャルルの法則を前提にしていると言えなくもありません。

 シャルルの法則は、圧力pが一定であれば、体積Vは、温度Tに比例するというものです。


V=\alpha T   (\alpha は比例定数)

これを、株式決定式に対応させると、


N=\beta r   (\beta は比例定数)

 株式比率rは株式市場の過熱に対応しますが、株式市場が活性化している状態では、株式を増資し、株式数Nを増やしても、株価Pは維持できるということが言えれば、株式におけるシャルルの法則が成り立つと言えます。

 しかし、実際には、公募増資は、評価されず下がることが多いので、シャルルの法則が当てはまっているとは言い難いです。

 むしろ、PN=一定のもとでのNの増加と捉えられ(株式の希釈と捉えられて)、株価が下落することの方が多いと思います。シャルルの法則というよりは、ボイルの法則に従っていると言えます。

 しかし、発行する側の思いとしては、株式市場の活況を当て込んで、Nが増えても、株価Pは保てると思って、増資をすると思いますので、株式におけるシャルルの法則への期待があると言えるでしょう。

4. 最後に

 今回の記事では、株式水準の決定方程式を気体の状態方程式とのアナロジーで説明しました。個々の株取引もまた、気体における分子運動のアナロジーで理解することができるかもしれません。

 金融工学については詳しくはありませんが、金融工学で用いるブラック・ショールズの方程式にはブラウン運動がその考えに入っていたり、流体力学で用いるナビエ・ストークスの方程式を用いることもあるそうです。

 株取引を分子運動として捉えることは、あながち間違った見方とは言えないのかもしれません。

(2019/6/14)

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*1:気体の状態方程式には、いくつかのバリエーションがあり、数密度を変数とする状態方程式  pV=Nk_BTの方が、私のイメージには合います。気体分子の運動を前提とするこの状態方程式のk_BTの項は、一つの分子が持つ平均的なエネルギーを表します。この項は、株価決定式の貨幣回転率rに対応します。貨幣が紙幣なら、回転率rは言うなれば、1枚の紙幣がどれだけ人の手に回り、運動するか、という紙幣のエネルギーを表します。